QynemaLens 特集② シーンの外側から響く、鋭く儚いメロディ

QynemaLens:
(読み キネマレンズ)2024年に大阪で結成された3人組ユニット。
EDMの先鋭的なサウンドと邦楽ポップの叙情性を融合し、シーンの常識を軽やかに越える音を鳴らす。
結成からわずか数か月で世界最大級のバンドコンテスト「エマージェンザ大阪決勝」で優勝を果たし、実力と共感を同時に証明した注目の存在。
この特集では、彼らが生む革新の音楽と、その奥に宿る誠実な衝動を解き明かす。

一滴の清涼剤として生まれた歌 ─ QynemaLensの覚悟

QynemaLens(キネマレンズ)は、まるでシーンの隙間にふと生まれた一滴の清涼剤のようだ。
日本のポップミュージックはこの二十年、幾度も「誠実さ」と「商業性」の二項対立を抱えながら進化してきた。
「いきものがかり」がデビューした当初、メンバーはこう言っていた。
「私たちは派手な音を出せない。でもその代わりに、まっすぐな音を響かせる自信がある」
そしてその言葉どおり、しなやかで嘘のないポップスは世代を超えて愛され続けている。

キネマレンズもまた、この言葉に通じる覚悟を持つバンドだと感じる。
彼らはライブパフォーマンスの派手な演出よりも、音とメロディのメッセージを一番大事にする。
そしてその選択は、ライブ一発勝負のコンテストで結果として証明された。
「いきものがかり」や「Awesome City Club」のように、彼らもきっと10代から30代の感性に深く染み込むカリスマ性を秘めている。
ただし、その音は明らかに少し異なる質感を持つ。
もっと鋭く、もっと儚く、そしてどこかシーンの外側に立つクールネスがある。

Awesome City Clubはデビュー当初、「いまのJ-Popに足りない都会的なグルーヴと洗練を持ち込む」と評された。
同じくキネマレンズにも、邦楽の枠組みを軽やかに越えていくモード感がある。
EDMをはじめとする海外のトレンドを巧みに消化し、そこに叙情性や日本語のリズムを融合させる。
こうした立体的なサウンドは、単にカッコいいだけではなく、上質なPopこそがもっとも深いメッセージを宿せることを改めて教えてくれる。
もちろんこれから先、彼らの周囲には多くの選択が生まれてくるだろう。
音楽ビジネスの世界において、ポップスは必ず「売るための仕組み」に組み込まれる。
「商業に寄らなければ、音楽は届かない」
これは紛れもない現実だ。
しかしその一方で、「流されずにファンだけを見続ける強さ」を持つバンドは、やがてシーンに確固たる居場所を築く。
「いきものがかり」が「ポップは媚びではない」と証明したように、
「Awesome City Club」が「音楽は消費されるだけじゃない」と示したように、
キネマレンズにも、そんな誇り高い道を歩んでほしいと願う。

特に、男性ボーカルJIMAの声は、風の知らせのようにやさしいのに、言葉の輪郭が凛としている。
女性ボーカルAivviyの歌は、洋楽的なエッジと日本語ポップスの温度感を同居させる希有な響きだ。
二人が交わる旋律は、ここ数年のJ-Popのどのバンドとも似ていない。
それは、「目立とう、売れよう」という衝動ではなく、ただ「伝えたい」という衝動だけで鳴っている音だからだろう。

この先、ファンは確実に増えていく。
おそらく近いうちに、彼らのライブはもっと大きな会場へと拡がり、チケットは手に入りにくくなる。
けれどそのときも、今と同じ熱量で、上質な楽曲を作り続けてほしい。
音楽の中でもとりわけポップは、人を救うほどの強さを持っている。
だからこそ、売るためのスキームに絡め取られる危うさも常に隣り合う。
このバンドには、どちらの極端にも寄らず、「ファンのために音を鳴らす」という姿勢を変えずにいてほしい。

QynemaLensのようなバンドが育つシーンは、必ず豊かになる。
この時代に生まれた奇跡のような才能が、商業主義の渦に飲み込まれず、クールで誠実なポップの旗を掲げ続ける未来を期待したい。